震災から原発の溶接を考える
東日本大震災からまもなく1年が経ちます。
この1年で誰もが震災の怖さを知り、色々と考える部分が多かったと思います。
このたびの震災で被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
昨年起きた東北の巨大地震では幾度となく、「想定外」と言う言葉を耳にしました。
原発では、この想定外の事態が大事故を引き起こしています。一体、想定外と想定内の境界線は誰がどこで引いてるんだと言いたくなってしまいます。電力支配してるの天下の方々は「絶対に安心」の一言で細かな問題を誤魔化し、無理やり推し進めたと言われてもしょうがないですよね。まあ原発に限らず、予期せぬトラブルは何のケースでも起こりえますし、想定外の事態を予測しなかったのが悪いとは言いませんが、問題は「絶対に安心」と言い切っていた事です。震災の悲しみに加えて、信じていた言葉に裏切られるのは心苦しいばかりです。話半分の政治家が調子よく語るこなせない事が想定内のマニフェストよりも失望感は大きいです。
ここで「絶対に安心」と言い張っていた割に、前々から腑に落ちない点を一つ。
溶接に関してですが、原発の重要部は私のような溶接屋が関われる部分では無いので詳しくはわかりませんが、原発では多くの部分が下請け業者からまた下請けへと仕事が流れていきます。そんな中、よく目にするのは「こんな溶接でいいのかよ」って製品です。もちろん原発の仕事をするからには一流の方々が溶接されているとは思うのですが、疑問を感じずにはいられない物もあるのが本当の所です。確かな設計と検査が行われていれば、想定内の事態なら大丈夫って事なんでしょうかね?溶接は外観だけ見てもその内部がどのくらい確かな溶接がされているのかは判断できないので、ぱっと見は綺麗なビードだなぁとか、安定してない溶接だなぁとしかわかりません。そこで正しい内部検査が行われているかなんですが、怪しい気は・・しますね。
そもそも溶接に対する、重要性と高い技術が求められる作業の割に賃金が安い傾向が続いているのが問題ありです。(私自身の愚痴じゃないよ!) どの企業でも低コストを重視し、効率の良い作業を提案しては実践しているとは思います。しかし限界もありまして、言葉は悪いですが仕事に対して手を抜く以外に方法が無くなってきています。溶接は見えない部分が多いので手抜きでも分かりにくいんですよね・・。
溶接は職人仕事です。誰もが誇りを持って作業したいはずです。
図面通りにこなすのが普通なのに、図面どおりに進めると作業が遅いなんて言われて何とも言いようのない気持ちで毎日作業をしている方々が多いのではないでしょうか。質の高い溶接を目指す気持ちを凹まさせないで下さいよ。お願いしますよ行政さん。もう想定外じゃ言い訳できませんよ。溶接業界ではこの事態は想定内ですよ。
日本が質の悪い製品を作り出したら、もう何で世界を相手に生きていくのでしょうか。