溶接屋として不況を生き抜く
2010年 夏
いや~実に仕事がさらにさらに厳しくなってきたこの頃です。
景気良くなれと連呼してた時代も過ぎ、景気が上がっただの横ばいだのもう考えてもいられないです。
ただひたすら「明日の仕事にありつけますように」とお月様に祈るばかりですよもう~
さらに仕事があっても単価が酷い。時間3000円でしょんぼりしてた頃が今では良い思い出になりそうです。
そして中国の恐るべきパワーに仕事をかたっぱしから吸い取られてる。かろうじて材料の質が国産でないと不安~みたいな仕事しかありません。もはや腕の質ではなく材料の質だけで首が繋がってる状態!つまり溶接屋は必要ないじゃんよ!!
さて、わたくし話で申し訳ないのですがちょっと最近の近況なんてのを書かせて頂きます。
独立して早10年。これまで仕事が無くなる気配すらなく「休み欲しいぜ、でも金もっと欲しいぜ」しか考えてなかったのですが、とうとう僕の所にも来ちゃいました。ある日突然に襲ってきました。
仕事が無い
年明け頃は土曜日も休みにしたい~と考えてたのに4月には週休7日になってました。
まあ金さえあれば最高なんですがそんな訳も無く本気であせりましたねwこれまで偉そうに語ってきた罰でしょうかw
そのうち仕事も増えるだろうなんて何の根拠もない余裕の気持ちと完全に追い込まれた精神状態の間をさまよってたんですが、3月4月5月と2日くらいしか仕事が無くて腹をくくりました。以前から頻繁に仕事を頂いていた会社に社内外注として務める事にしたのです。聞こえは良いですけどアルバイトみたいな雇用形式なんだけどねw
でも、とりあえずこれで日銭は稼げます。仕事は一日中裏波配管巻いたり5トンくらいの製缶物を一人でやらされたり、いややらせて頂いたりと楽じゃないけど働く事の喜びを噛み締めて汗を流してますよ!ホントに!
今2ヶ月半くらい務めたんですがその間にあった主な出来事
・事務のKちゃんと仲良くなれた
・防塵マスクをしろと怒られた
・保護メガネをしろと怒られた
・事務のKちゃんと映画に行った
・朝のラジオ体操で怒鳴られた
・手を洗わず社員食堂に行って本気の怒られ方ってのを大勢の前で見せ付けた
・事務のKちゃんとウヒヒヒな関係になれた
とまぁ、いかに自分の仕事に対する姿勢が適当だったかを改めて思い知らされました・・
これまで豚小屋みたいな工場でしか働いた事が無かったので1番大事な部分が見えてなかったんだと反省いたしました。今はもう立派な社内外注さんです。そういえば社員の方々は僕を「社内外注さん」って呼ぶんですよ。苗字で呼べば4文字なのに社内外注さんって長くねーか?無駄にカロリー使ってねえか?この他人行儀が何かのバリアなのか?
いや、そんな事考えてはいけません。何より働ける感謝の日々なのですから。
それと借り工場の家賃だけは払い続けてます。やっぱり自分の城に早く戻りたいからね。
と言いつつこのままでもいいかなって気持ちも だってKちゃんが・・・
なんてな。